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2008.06.22 Sun
脱藩大名の戊辰戦争―上総請西藩主・林忠崇の生涯 (中公新書)脱藩大名の戊辰戦争―上総請西藩主・林忠崇の生涯 (中公新書)
(2000/09)
中村 彰彦

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徳川三百年の恩顧をものともせず、幕末諸藩の多くは倒幕側に立った。譜代親藩も例外ではなかった。そんな中、佐幕一途に身代を擲って戦った大名家があった。房総に僅か1万石を食む小大名請西藩林家、当主は弱冠二十歳の青年藩主忠崇であった。因みに忠崇の祖父肥後守忠英は将軍家斉の寵臣として威を振るった「佞臣」と知られた。忠崇は青年らしい純粋さで徳川家に殉じる覚悟を定め、陣屋を焼いて藩主ごと脱藩し、小田原、東北と転戦を続ける。最後は徳川家の存続が認められたことを知り、ようやく矛を収めた。こういう時勢に逆らってでも義を通した男がいたことは徳川にとって、また後世に生きる我々にとっても有り難いことだ。しかし、維新後、佐幕方諸侯も含め、大名は全て爵位を与えられて華族に列したが、林家だけは例外だった。林家は貧窮し、忠崇は商売に手を出してみたり下級役人になって細々と生きるが、やがて旧臣たちの活動によって華族になれ、娘が資産家に嫁いでそこそこ幸せな老後を送り、昭和16年まで生きた。幕末当時の諸侯のうち、最高齢であった。いまわの際に辞世を求められた時、「辞世はない。明治元年にやった」と言ったという。
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